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夜になっても読み続けよう。

地位も名誉やお金より、自分の純度を上げたい。

「チョコレートドーナツ」~君はただ、淋しいだけ~

皆様
夜中にこんばんは。


手首と肩の炎症で
医者から
今の仕事を辞めて
他の仕事に変えなさい

どんな外科的治療も治る見込みはない


と言われて






鬱になりかかってました。


愛猫の死も
次の職場が簡単に見付かるかどうか分からない不安も
追い打ちにコンボをかけてくれまして、
こうなると







笑うしかない。






「ピンチはチャンス」


とか
よく言われますが
体の一部が継続的に痛い、
てのは人をダウナーにさせます。

笑うのは多分、
脳みそが前向きになろうとしているのでしょう。


最近公開された映画

「チョコレートドーナツ」

なんですが
早くも名作の声が上がってます。



結論から言うと












名作です。



70年代のアメリカ。

ゲイである事を隠して働いてる弁護士のポール
ゲイである事を隠さず働いてるルディは
ヤク中の母親に
育児放棄されてる
ダウン症の男の子・マルコと出会います。


今でも差別がないとは言えない、
ゲイと障害者、
70年代はその比ではありません。

ゲイである事を隠しているポールが明るいルディと出会い……て辺りは
落語で言うなら枕ですが
ラストへの伏線なんですね。


淡々としたストーリーですが
マイノリティーの人間のそれぞれが上手く絡まってます。


マルコの母親は度々、
マルコを放置して帰って来なかったり部屋から追い出したり。

男気(ゲイでもオカマでも女でも存在する)を出して
マルコの面倒をみる事になり
ポールも放っておけなくなって
結果、
三人で同居
とゆー事になります。


チョコレートドーナツはマルコの好物。


この映画の原題は
「AnydayNow」
です。

これも伏線。


卑屈になる事なく
屈託のないマルコに癒されるようになるポールとルディ。


最初は

「放っておけないから仕方なく」

の同居でしたが
二人にとって
マルコはかけがいのない家族の一人になって行き、
ポールとルディも
「単なるゲイのカップル」
ではなく
三人で家族
と変わって行きます。


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ゲイである事が知られてしまい、
マルコは強制的に家庭局(児童相談所みたいなセクションでしょうか)に連れて行かれます。


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どーにもならんと
諦め気味のポールに
ルディは
裁判を起こす事を提案。


弁護士を目指していた頃の情熱を思い出し、
ポールはルディと
マルコの養育権を勝ち取るために法廷闘争開始。


紆余曲折あり、
二人がゲイである事ばっかりが問題にされます。

まるで
ゲイには子供を育てる能力がないとでも言いたげな
下らない質問ばっかり。


そして最後に
ポールをゲイだからと解雇した弁護士事務所のボスが
マルコの母親を引っ張り出して来ます。


母親が育てる


これだけで
ポールとルディは負けます。


法廷で

「あんな女に子育てする資格はない!」

「ヤク中に母親が出来る訳がないっ!」

と語気荒く叫んで
最後に泣き崩れるルディ。


それを慰めるポール。



そして








ネタバレは止めておきましょう。








連れ込んだ男とドラッグを吸う母親。

部屋の隅で見ているマルコ。


以前と同じの日々。


男と母親に部屋を出ていけと言われて
おとなしく出ていくマルコ。

お気に入りで片時も離さない人形を
いつも通りに抱えて。



そして
ナイトクラブでルディは
「AnyDayNow」を唄っています。


それをBGMに
夜の街を彷徨するマルコ。


喜びでも悲しみでも憎しみでも孤独でもない表情を浮かべて
時おり、
イルミネーションや街明かりを見つめて立ち止まり、
また歩き出す、
ただそれだけのシーンに
「AnyDayNow」
がかぶさります。

一方、
昼間にタイプライターで何やら文章作成しているポール。


実は、
ルディが唄っている時、
ポールがタイプしている時、
新たな展開があった後なのです。


ポールがタイプしていたのは複数の手紙でした。


三人に関わった行政や裁判関係者へ
あれからどうなったを伝える手紙でした。






ラスト近く
マルコが街明かりを時々眺めては歩き、
眺めては歩くシーンなんですが、








わたしの過去とオーバーラップしました。



行く所も
帰る所も
お金も友達もいない、
寒くて
通りすがりの人も少なく
居ても自分には無関心。


マルコは
ひときわ明るい、
広場か工場みたいな所へ向かって
ゆっくりゆっくり、
ポツポツと歩くんですが
こういう時って
より明るい方へ明るい方へ
勝手に足が向いちゃうんです。


そして










喜びも悲しみも
何にも感じなくなります。







人は幸せになりたいと願って生きている人がほとんどです。


そして
誰かを幸せにしたい
と願う時もあります。

自分一人でも一杯一杯なのに
他人の人生まで請け負うのは無理、
と諦める事も多いです。


けれど、
誰かと
ささやかな喜びを持ち寄って
ささやかに分け合う事が出来たら

「誰かに幸せにする」
「誰かに幸せにして欲しい」


という願いそのものを抱きません。


けれど
幸せにしたい人を
幸せにしてくれる人を

自分が幸せに出来ない時もあります。


理不尽な世の中への無力感、
これは力を奪います。



自分が不幸だと感じて
それにドップリ浸かっている人は
その原因探しをし、
その原因だと思われるモノを激しく憎みます。


そして
孤独な場合、
その憎しみをバラまきます。


そうした人は
不幸の一番原因の1つに
自身が一人ぼっちなせいも含まれている事に
気付いてないからです。


一人ぼっちな事に気付いた時、
絶望するか
スーパーサイヤ人になるかは
状況次第ですが。



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憐れみでも同情でもない、
やるせない気持ちになる映画です。


読んでくれて
ありがとうございます。