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ラストエンペラーの二人の妻~お見合いから新婚さんへ~

皆様、おこんにちは。
今回は歴史、です。

満州国国王」「愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)」
と言えば、映画の「ラストエンペラー」を思い浮かべる方も多いでしょう。

その嫁はん二人のお話です。

当時、「清朝」はないも同然で
中国は歴代の皇帝の末裔である溥儀を、もてあましていました。

これは西太后にまで遡って説明しなくてはなりません。

西太后が現役バリバリの頃は
イギリス、オランダ他のヨーロッパ諸国から
ズタボロにされていました。
外国の人間に好きなようにされるよりは
暴君でも国の女帝と
保守的な空気が蔓延し、おかげで西太后も贅沢の限りを尽くし、天寿を全うしています。
晩年になって、まだ三歳にもなっていない溥儀を後継者として指名したのは、諸外国や王室を搾取しようとしてる人間たちへの
最後の嫌がらせだったのかもしれません。

溥儀は紫禁城から出ることなく
大切に育てられます。

皇帝としての政治的権限を全て放棄する条件で。

実母にも実弟にも会えない生活の中で
英語の教師のジョンストンさんとの授業だけが安らぎの日々。

溥儀が14、15才になった頃
そろそろ結婚の話が出ます。

西太后の息子(同治帝・早逝)の後家さんやら、もういろんな人が、自分の利権にかなう候補を勧めてきます。

西太后のエピソードですが
皇帝のお嫁さん選びは
庭に候補をズラーッと並べて
気に入った候補の帯に飾りを着ける、とか果物を渡すとか、とにかく対面が主流でした。

西太后はワザと遅れて行って
横並びの候補の端っこに座ります。

西太后も美人でしたが、候補達もそうです。
そんな中ではこの方が目にとまりやすく、皇帝は「うわ、美しい」と
まんまと策略に乗っかって西太后を選んだと言われています(側室ですが)。

現代的な方法として溥儀がやらされたのは
お見合い写真から選ぶというもの。
しかも、サイズが小さい上に画像も悪くて何がなんだか。

その中で、溥儀は最初に
文繍の写真にマルを付けます。

これには後家の叔母さん達の一部が大反対します。
文繍は没落貴族の娘ですが、ガチガチの古いタイプの中国人、しかもまだ幼く
容姿も優れていない。

それで、さらにマルを付けたのが
婉容でした。
溥儀から三つ年下、美人、しかもミッションスクールで教育を受けていて、英語も堪能。
実家は金持ち。

グローバル化していく中国にはこういう人の方が良いと推されます。

ところが、この「文繍に先にマルを付けた」件が、後々の問題のタネになりますが、それは後述。

結局、皇后は婉容、后妃は文繍と決まります。
后妃を「第二夫人」や「側室」というように解釈されている事が多いですが
実際には、身分を決めるための暫定的な物で、対等でどっちも「妻」。
「一夫多妻制」の結婚でした。

しかし、三人同時の結婚式の話が出てきて再び混乱。
一夫多妻であっても、三人一緒の結婚式はかつての皇帝にもなく、やったとしたら前代未聞。
婉容を推す人達はこっちが先だ、文繍を推す人達は、いや、こっちこそがと喧々諤々。
仕方なく、文繍の嫁入りを先に行い
婉容が輿入れした際はひざまづいて婉容を迎える、という事になりましたが、文繍には屈辱だったようです。

「先に選ばれたのはワダスなのに先に選ばれたのはワダスなのに先に選ばれたのはワダスなのに」
と文繍は内心、怒り心頭。

紫禁城にそれぞれの宮殿を与えられます。

そして、初夜ですが
婉容のいる寝室に溥儀は来て
上から下まで見ると(チェックと言うか)、挨拶もせずに去ってしまいました。

文繍の場合は、部屋にも来なかったようです。

文繍が皇后であったら
後の悲劇はどうなっていたのか、と思いますが
あんまり変わらなかったんではないかという気もします。

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婉容を見ると
現代的な「ロリ」…………違う、可愛い人です。
が、何かねめつけてるような三白眼で
執着心が強そうだし、ヤンデレキャラな風貌です。


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文繍はいかにもモンゴル系の体格と顔で
幼い中にも我の強そうな物が読み取れます。

溥儀と婉容の新婚生活は
実態を伴ってはいないものの、仲は悪くはなかったようです。

溥儀が婉容に
マッチで煙草に火をつけてあげていたり
自転車に乗るのをサポートをしている写真があります。

半面、文繍は古典中国詩を愛するガチガチの正しい中国人の女の子で
婉容に歩み寄る気は全くなかったようです。

何しろまだ13才です。

その文繍ですが
輿入れしてから初潮を迎えます。
婉容はお祝いを贈り、二人で食事をします。
古い作法を守る文繍は
勧めても決して椅子に座る事なく
立ったまま食事をしたと言われています。

婉容が二人で散歩でも
と使いを送っても
「二人きりになったらワダスを殺すつもりだ!」
と大騒ぎ。

一方、夫の溥儀は
二人の妻の事はどうでも良く
やがて、クーデターが起きて紫禁城を追い出される事になります。

続く



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