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夜になっても読み続けよう。

地位も名誉やお金より、自分の純度を上げたい。

こども、ふじゆうちょう。

皆様、おこんにちは。

児童の頃に虐待を受けていて
それにもめげず、大人になった人を「サバイバー」と呼ぶのですが
私は自身がそうである自覚がありません。

それと、サバイバー同士で仲間割れしてて
PTSD乗り越えて普通の社会生活を送れてる人と
悲しいことにメンヘラになっちゃった人達の間では今日もどこかでバトルが繰り広げられてます。

結論から言うと
「過去を上手く忘れる」
とか
「(ある程度でもいいから)親を許す事が出来た」
か、どーかでその後の人格が決まってしまう部分があるのは否めません。

私の場合は、相方と相方の家族が
私を育て直してくれたので
今日に至ってもアホアホでいられます。

多分、ケースとしては少ない部類に入ると思います。

父親が家業をブッ潰して(てか、食い潰した)から、貧乏になり、あちこち転々としていく中
両親の夫婦関係は冷えてきて
父に取っては初婚じゃなかったのもあり
いろんなウダウダグダクダを越えて離婚、
母親からのアンナコトやコンナコトは
それから始まりました。

私をかばって可愛がってくれたのは祖父ですが
この人も血縁のない人でした。

「親は見返りを求めず無償の愛を子供にナンタラカンタラ」

てのが本の中にしかないらしいと
私は物心ついた時には気付いていました。

きちんと食べさせてもらってないから
学校でもしょっちゅう、朝礼で倒れる、
低学年なのに
肩凝り頭痛で保健室に入り浸る
極めつけは
遠足や運動会に
ゼッケンも着けていず
お弁当も持ってこない。

担任が
「豪華じゃなくても良いから、学校行事なんでお弁当は持たせて下さい」
と家庭訪問に来る、
そしたら菓子パンを持たせる、こんなん序ノ口です。

保健室の先生がちょっとおかしい、と気付いたのは
私の視力の極端な左右差でした。

左目は普通なのに、右目はもう弱視スレスレです。
この時はさすがに
ヤバッ!
と母が思ったようで
「ああ、遺伝なんですよ~。この子の父親もそうでしたから~オホホホホホホ~♪」
と誤魔化してました。

本当は


階段の上から突き落とされて頭を打った後遺症でした。

曾祖母と祖母と母が
私に命じたのは

「何でもきちんと出来て女の子らしい、けれど優秀な子供」

でした。
もう、女優になるしかありません。
お笑い芸人でも良かったかもしれません。

「挨拶をする」
「大人には敬語で話す」
「テストは90点以上を取る」
「テレビは週末だけ二時間」
「漫画は禁止」
「他人はみんな敵」
「いじめられるのは本人が悪い」
「人を見たら泥棒と思え」
「表面的にはいい人を演じること」

などなど、延々と命じられました。

この頃の記憶が
たいていの虐待やネグレクト経験者はフラッシュバックになって……てな事が
私にはありませんでした。

自分の事として捉えられなかったのもありますが
暴力は、物理的な物でも口でも
我慢してりゃあ、いつかは終わるし
早くお婆ちゃんになって死にたいな
そしたら今度はミジンコに生まれ変わりたいな
そんで大きい魚に一口で食われてすぐに死にたいな
と無限ループ。

記憶も曖昧で、現実味が今でもありません。

「やるべき項目」
がどんどん増えていって



「祖母や母より賢く優秀になってはいけない」

てのが追加された時に
これってどういう事?
と聞いたら
鼻血が出るまで殴られキックされ
「そういう疑問を持たない事だよっ‼」
と言われました。

すげぇ、矛盾してない?

と青息吐息で聞いたら

「しぶといガキになるのも禁止!!」

と言われました。

祖母も母も、楽しかったでしょうね。

子供では理解できず
実行も出来ない事をやらせるのは。

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中卒で家を出て働け
と言われた時に
私は隣に住まうキャリア・ウーマンのお宅に行って
「将来、なりたい職業がある。母を説得してくれないか」
と頼みました。

合点承知の助、とお隣のキャリア・ウーマンさんは家に何回か来て
将来への投資だから
お金が稼げるから

あの手この手で了解させるのに成功(その節は本当にありがとうございました)。
奨学金をかき集めて進学しました。

何より、祖父が
「他の子には何でも与えてるのに、娘の方だけ中卒で追い出した
と外聞が悪くなる」
と言ったのも効いたようです。

高校に入って
さすがに私の祖母と母が
世間一般から見て、かなり異常なレベルだと分かって
遅い反抗期が来ました。

私の他の兄弟が
学校に行かず、引きこもりになって
母は
ご近所さんと同じ目で母を見るようになった私や
世間一般を見返すために
お金も手間もかけて欲しいと言う物は何でも与えて
兄弟をレールに戻そうとしました(これについては後日にでも)。

相方と結婚したばっかりの頃
相方が
「貧乏な家あるある話」
で、男の子ばっかり四人兄弟で
みんな馬みたいに食べるから、お袋は大変だった、
よく出たのが菜っ葉とちくわの炊いたやつで…………と話している時、相方はびっくりしました。

私がボロボロ泣いていたからです。

羨ましいと言って。

育ち盛りの子供を育てるために
工夫して手料理出して
そんなそんな風に
愛情を形に変える事が出来るおうちに育って羨ましい
とボロボロ泣いている私を見て
相方は
いろいろ過去にあるとは分かっていたけど
これは本格的にケアとゆーか、育て直しせなならんなぁ
と思ったそうです。

私の母は凝った料理をよく作ってましたが
私はカレーライスを作ってもらった事がありません。
出てくる料理はお料理教室に出てくるような
綺麗だけど美味しくも何ともない物ばっかり。


真夏にビーフシチュー


なんか当たり前でした。

朝御飯は
リッツクラッカーにイチゴジャム塗って食べて投稿してました(だから貧血起こして、よく倒れてた)。

ある日、母から電話で
お金をよこせ、借金の保証人になれ
とギャーギャー言われていて
どうやって断ろうか受話器を持ったまま困惑していた時です。

相方は、いきなり受話器を奪い取って


「水はあなたの娘かもしれませんが、
今は僕の妻ですっっっ‼」

と言って、ガチャ切りしてしまいました。

それきり、母の電話はなくなりました。

母が亡くなった後
母が

私に生命保険をかけていた


事を知って、爆笑しました。

そう、分かり合えなくて当然。
こういう人達はそういう事しか考えてない。

お金。自慢できる地位。自慢できる配偶者。
自慢できる容姿や服装。

何一つ「自分」がない人達。

婦人科で
「あなたに子供が出来る可能性は5%です。
五年間、不妊治療を受けても同様です」
と言われた時に
しみじみ安堵しました。

「あ、じゃあ、不妊治療は受けません」

と笑顔で即答する私に
婦人科医の方が驚いていました。

後日、相方も精子が薄いと分かりました。

それでも
他の人から
子供こども、子供作れ
と言われた記憶がありません。

あっても脳がスルーしてたのかもしれません。

不妊治療の末に50才前で出産、子供素晴らしー、てな人もいますが
ああ、大変でしたね
としか言えません。

ヒトの事だし。

相方は

「子供は俺もどうでも良い、っちゅーか、あなたと居たいし。
理由は


あなた、面白いんだもん!」

と言われました。

驚いたのは
「老後の保険として子供を産み育てている」
って意見。

介護や医療の仕事をしてたら
実子がいかにアテにならないか
もう、嫌になるくらい見てきてるので
どうしてこうした意見がいまだにまかり通ってるのか疑問です。

女の子は嫁に行ったから関係ないと主張
男の子は経済力なくて介護出来ない、
そうしたケースが増えてます。

しんどい話でしたが
ここまで書いてきても
私はサバイバーだとは思えないのです。

助けてくれた人がたくさんいたのは
本当に感謝してます。



いつも読んで下さって
ありがとうございます。

子供は自由と言う名の
不自由。