夜になっても読み続けよう。

地位も名誉やお金より、自分の純度を上げたい。

爺ちゃんの弁当。

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

大雨がやっと、あがった千葉県某所から
おはこんにちは。

母方の祖父は、祖母の再婚相手なので私とは血縁がありませんでした。

私の両親がスッタモンダで離婚して
一時期、祖父母の家(母には実家と言うか)に私を連れて戻り、自営業の手伝いをしていました。

ちなみに兄弟は父の所にいて
親権でグチャグチャにモメてました。


母が本格的にブッ壊れ始めて
運動会の当日に
あらかじめ伝えてあったのに何も用意してなくて


弁当も水筒も持たずに
ゼッケンなしの体操服姿で運動会に行く子供・私。


昼食も摂らずに
ボーとしていた記憶があります。
朝食も食べてないから倒れそうになっていたようです。

そんなこんなで、学校から連絡が入り、「行事ですから、最低限の事は…………」と教師に言われて
ひたすら謝る義理祖父。


私に対して興味を失った母と祖母の代わりに
遠足の日にはお弁当を作ってくれたりしました。

母も祖母も、私が嫌いだったと思うのですが
言葉の暴力に晒されてると
「水は賢い!
この子は普通のお嫁さんとかにはならないで、少し違う生き方をするに違いない。
それに何でもかんでも否定して、二人ともひどい」
と、いつもかばってくれました。

父がようやく、兄弟の親権を手放し
みんなで暮らし始めると
母は一緒に居られなかった分を埋め合わせるように
兄弟の欲しいと言う物は何でも買い与えて
それからしばらくして、兄弟が引きこもりになった時は
祖父にだけは知られたくないと必死でした。

放置されてた私がフツーに自立した時も
母は
「水がそんな風に女の子なのに、きちんとしてしまうから兄弟がおかしくなった」
と全部、私に丸投げ。

中学にも行かない兄弟を
やっぱり父の所へ返そうかと祖母と母が話してると
「思う通りに育たなかったからと、荷物みたいに送り返すのかっ!」
と祖父と私は激怒。

女親ってさ、どうして息子を
「自分の理想のオトコ」
に育てようとすのかねぇ、と思った記憶があります。

この義理祖父がいたおかげで、私は「親を殺す子供」にならずにすみました。
おじいちゃん、ありがとう。


ちなみに、運動会の日は
心優しい級友が
おにぎりやオカズを少しずつ分けて
一人分のお弁当にしてくれました。
みんな、ありがとう。

私より悲惨だったのは
運動会の学校に出前を寄越した親の子でした。
ほか弁なら、まだしも。

いわゆる「教育ママ」ってやつで
なのに普段の食事やら生活の事は一切しない母親だったようです。

その子は出前をひっくり返して
机で大泣きしてました。

保育園実習に行った時、アートの域に行ってる愛母弁当をたくさん見て
正直、うらやましいと思いました。

祖父への心残りは
孫を見せてあげらなかった事です。

まあ、昔はいろんなお家があったし。


いつも読んで下さって
ありがとうございます。

子供がいたら、私はどんなオカンになっていたのだろうか、不安です。