夜になっても読み続けよう。

地位も名誉やお金より、自分の純度を上げたい。

「鬼滅の刃」の社会学~その12 煉獄杏寿朗 ~

実は主人公には、遠い

皆様。

大変大変大変大変大変、お待たせいたしました。
煉獄さん、です。

鬼殺隊、炎の呼吸を使う炎柱。
目立つ上にイケてるルックス、明朗快活な好青年。

しかし…………この人ほど「分かりにくい人物」は作中にいません。
何が分かりにくいって、自身の心の闇を本人は自覚していながら、直視しないようにしてるからです。

代々、炎柱を輩出してきた名家の煉獄家。
父・槇寿朗は一定の時までは、強くてカッコいい父親でした。
いろいろあって(雑)、妻の瑠火が、サイアクのタイミングで亡くなります。

以来、槇寿朗は酒に溺れ、任務中にも呑むわ、ワザと鬼を逃がすわ、育児は放棄するわでダメ人間に。
よくあるパターンです。

これは妻の瑠火さんが、「本来は、孤独な存在である鬼狩り」に対して、良い理解者でもあったからでしょう。
だって、明治には帯刀禁止になってんのに、刀振り回して戦わなくてはいけません。
人を守る仕事をしてるのに、帯刀してると警官に職務質問されます。
世間の青少年が、青春を謳歌してる時にも鍛練の日々。
それが報われないと感じた絶望は、ものすごい脱力感を伴うと思います。

こうした「(同じ)男性として・社会人として・父親として、のロールモデル」を欠いた状態で、杏寿朗は少年期を過ごします。

ワタシがムカつくのは、それと。
弟の千寿朗君は、どう見ても炭治郎より少し下なんですよね。
なのに、家事一切をやって、任務で忙しい兄・杏寿朗を支えてます。
つまり

ヤング・ケアラーにさせられてる事です。

この「ヤング・ケアラー」ですが最近、社会問題になっています。
「義務教育過程、高校生の児童が、家庭の都合で家庭内の病人や老人の介護を任されている」
しかし、この問題は70年代辺り、日本が高度経済成長に入ってから存在していました。
介護を子供に任せる親に、刑罰が下され、子供はしかるべき所で保護、というルートがようやく、最近になって少しは出来てきました。

そして、「剣士の素質がない」と自分でも分かっている千寿朗君は、それでも煉獄家のために何とか剣士になろうと頑張っています。
現代とは比べ物にならないほど、多様性がない時代とは言え、こういう「向いてない事を、自分の意思で目指すようにし向けている空気」も腹がた……失礼しました。

しかも、槇寿朗パパですが、多分、経済的には息子の杏寿朗が担ってるんでしょう。
まあ、長年、鬼殺隊で炎柱やってたから、年金や退職金みたいなのはあったかもしれませんが、どうも槇寿朗パパが「お館様」へ不信感持ってます。
要らないと突き返してるのかもしれません。

何とか父を元気な頃に戻したい、お金も稼がなきゃ、それに、まだ子供の弟を励まして……。

忙しいぃいいいっ!

「無限列車編」で眠らされた時に、杏寿朗の表層意識は、かまぼこ隊に「アニキ」と慕われている自分でした。
「強くて優しくて面倒見が良くて、みんなに頼られる存在」
それが杏寿朗の「理想の自分」です。

その少し下層の心理の夢には、鬼殺隊に入っても、炎柱になっても、褒めるどころか、顔も見せない父。
縁側での他愛ない、兄弟の雑談。

深層心理である、絶対領域を見ようとする少女の首を、眠ったまま絞めるシーンがあります。
そこは本当に、誰にも見せたくない場所なのでしょう。

青い空の下、石畳とその隙間から昇る小さな炎たち。

他のキャラが
「死んだはずの家族と再会」
「好きな女の子とデート」
「仲間と洞窟探検」
など、楽しい幸せな夢を見ているのに。

幼い時の母の抱擁と遺言。
「強くありなさい。そして弱い人を守ってあげなさい」
うーん、迷惑な遺言遺して死ぬオカン。

ところで、これって「幸せな思い出」?
「心を燃やせ」って、

もう火種も燃料もロクにない

のに?

とは言え、杏寿朗は生きている事を楽しんでいた人でした。
何かを食べれば一口ごとに「うまい!」を連発。
しかもたくさん食べます。
弟子や後輩に否定的な事は一切言わず褒める。

そこに嘘はありません。
けれど「いつでも笑顔」は、「いつでも泣いている」のと同義に思えます。
この人を分かりにくくしているのは、そうしたネガティブな感情を、自身の不屈の精神で抑え込んでいるからです。
胡蝶しのぶをして「会話が噛み合わない」と言わしめますが、自分のペースに埋没して生きているような感じもします。

ところで、槇寿朗パパの言う「大した者」とは、大きな功績を残したり、歴史に名を残す事でしょうか?

けれど、名を残せなくても、好きな人と結婚出来たとか、子供が産まれて一人前になるまで必死で育てたとか、普通の仕事だけど頑張って家族を養えたとか、
自分なりの幸せや達成感があれば、
それでいいのではないかと私は思います。

「普通の人の偉大さ」
を知っていたからこそ、杏寿朗は
乗客全員のために命を張れたのです。

ただ、あんな風に、自分の何もかもを責務のために燃やすような生き方は、なかなか出来ないです。
物語のテコ入れみたいな扱いも、そのせいでしょう。

誰よりも主人公に近い性格なのですが、それは本人の願いであり、そのように考えて振る舞っているだけ。
心の中では、荒れ狂う悲しみや淋しさ。
それを「情熱を抱いて」とか言って、見ないように蓋をする日々。
父親は役割を放棄してるし、弟は精神的な保護者が必要だからです。

一回くらいは、ダメオヤジにスリーパーホールドを食らわして欲しかったです。
ジャーマンでもいいです。
止める弟を無視して台所に立ち、結局、大惨事にして、それでも何とか自炊したサツマイモご飯を食べて欲しかったです。
炭治郎達と、手合わせするのが見たかったです。

カッコ悪い事なんて認めたがらないかもしれません。
けれどカッコ悪くても、生きていかねばならんのよ、ヒトってさぁ、と思うんですよね。
そして、カッコ悪いほどの生きざまは、逆にカッコいいのです。

けれど、炭治郎の項で書いた通り、煉獄杏寿朗という人もまた、
「持っている物は、どんどん他人に分け与える」
という人だったのでしょう。
子供の頃に与えられた両親の愛が深かったゆえに。

同じ「虐待サバイバー」として、宇随天元とどこまで互いの話をしていたのか分かりませんが、仲良しだったようです。
壮絶な過去を聞いても、あの太陽のような笑顔で全てを許容してくれる人ーーーーだと思います。

そして、やはり細くても小さくても、他人のために戦える炎を宿していたのです。
ものスッゴい、しんどい思いをしながら、その炎が消えないようにして。

そうして、次に、
「炭のあるカマド」
に自身の炎を移したのだと、私は思っています。


おまけ*煉獄さんが乗車前に下見で買った牛鍋弁当ですが、一個36銭と高級品の部類に入ります。
隊員への差し入れに買った分、下見のために、鉄道の従業員に差し入れた分ですが、ざっと目測で16個で風呂敷包み一つのようです。
それを5個。
16×5=80
大人買いしてますが、大雑把に計算しても、11万円越えてます。
これ、経費で落ちますよね?

ね? お、お館様っ!


サツマイモ、上がアンコのお饅頭。
ものスッゴいボリュームです。