「鬼滅の刃」~その15 富岡義勇~
不幸で候う
皆様、こんにちは。
一句。
鮭大根 ダシ汁入れたら 三平汁
この義勇さんという人も……。
異色な割に内面描写が少な過ぎて分析が難しいです(私には)。
柱の中でも随一のクールさ。
強さと弱さが一緒に現れてるタイプの人です。
こういうタイプは、現実には意外と少ないです。
それほど
「他人にどう見られるか」
に興味がないのでしょう。
実際、コミュ障気味です。
往来の性格が、と言うよりも過去に起因しています。
結婚式前夜の姉を鬼に殺され、それを周りに信じてもらえず、専門医の所に送られる所だったと…………相当なトラウマだったのでしょう。
鱗滝さんの所で錆兎と友達になって、ようやく子供らしく笑えるようになったのに、その錆兎も自己犠牲の末に。
これでは
「死んだのが自分なら良かったのに」
と思うなと言われても無理からぬ所。
それを救ったのは、炭治郎と禰豆子の存在でした。
この人は長い間「クールで判断力ある強い大人」である事を、自身に強要してきたのでしょう。
単純に「兄と妹の絆」を持ち出す炭治郎を、最初は子供っぽく思っていますが、それぞれに異能を見出だし、結果として鬼殺隊への道を敷いてあげます。
一番融通が利かないタイプに見えて、これはと思う人には、周りを「ダメなら自分は切腹する」と脅してでも説得し、入れ込む熱さ。
反面、自分は隊士としても柱としても相応しくないと公言する、自己評価の低さ。
多分、姉の蔦子は本当に、義勇さんを大切にしてたんだろうなぁ、と思います。
錆兎は強くてカッコいい憧れの友達、鱗滝は頼りがいある大人。
あのままであれば、こんな拗れた性格に……止めておきます。
「自分は強くない」
という虚無を救ったのは、炭治郎と禰豆子でした。
なんちゅーか、義勇では不可能な「あり得ない事を成し遂げた」からです。
それまで義勇が見てきた鬼は、鬼となった瞬間から、親子供・夫婦恋人といった大切な存在の人間でも、襲いかかって喰い殺す生き物。
禰豆子はそれをしないどころか、戦闘では人間を守り、日光を克服し、ついには人間に戻ります。
その妹を担いで、鬼殺隊に入隊する兄の炭治郎。
任務の日々に、どんどん成長していく少年。
かつての自分なら出来そうにない事を、叶えていく姿。
これは「生きた目標」みたいになるでしょう。
本来なら、「鬼を連れている」というだけで、鬼殺隊をハブられてもおかしくない存在です。
それが人の輪を広げていくし、強くなるし、何より自分に懐いているし。
例えば、ダンスの練習ですが。
ダンスは単体のパフォーマンスより、群舞で魅せる事が多いです。
一人の超絶技巧な踊りより、団体のコンビネーションが基本です。
上手い人と並べて踊らせると、上手い人は他を引っ張ろうとして、より上手く、下手な人は追い付こうとして上手くなる
てのを聞いた事があります。
柱稽古のテンヤワンヤを見ていると、それがよく分かります。
何の分野でも、心を閉ざして孤独に修行してるより、みんなでワイワイ、サークルや部活感覚でやった方が切磋琢磨して上達する事が多いです。
あの死人が出てもおかしくない修行を、たった一人でやるより、複数人で、辛いだの痛いだの頑張ろうだのと(ry
義勇に話を戻しますが、炭治郎が鬼殺隊に入ってからは、嫌われていた不死川実弥に歩み寄ろうとしたり、実は天然キャラなのが露呈したりと、自分の枠が少しづつ広がっていくのが分かる描写が増えていきます。
炭治郎が、弟弟子と言うより、精神的弟に近い存在になっていくのです。
最終決戦では、互いに片腕を失いつつ、残った腕で炭治郎と一緒に、無惨にとどめを刺そうとするシーンは迫力があり(結婚式のケーキ入刀みたいな体勢)、かつ、すごいインパクトでした。
竈門兄妹によって、仲間の犠牲によって、「俺なんか」などと言っていられないほど、心が燃え上がります。
実際、柱稽古さえも指導を避けようとしていたのに、炭治郎によって、錆兎の志を受け継がねばと思うようになってからは変わります。
最終決戦では相も変わらずクールなままですが、戦いぶりに熱がこもっています。
無惨の炭治郎への、とんでもない置き土産が発現した時も、重症の体を推して指揮を取るのですが、やはり可愛い弟弟子なのでしょう。
平穏な日々が訪れた中、笑顔を取り戻し、不死川実弥と鰻か何かを並んで食べていたりするシーンも、さりげない分、余計に心温まります。
最初から最後まで、炭治郎と禰豆子の幸せを願って来た姿に心を打たれます。
それほど、この兄妹の存在に救われたという事でしょう。
自己評価が低い点では同じ伊黒が
「『拙者、不幸でござる』みたいな所が気にくわない」
と言ってましたが、これは伊黒の洞察力のスゴさが分かるエピソードです。
その通りだからです。
これは憶測ですが
「自分で自分を可哀想だと思っている人」
はたいてい、
本当に不幸になります。
プラシーボ効果や暗示もありますが、客観的な「底」が見えなくなるので、自分からどんどん危ない人や事象に近付いて行く傾向があるのです。
取り戻せない事や、巻き戻せない時間にエネルギーを費やし過ぎるからでしょう。
義勇は最終決戦前に、それを止めています。
人は生きていくプロセスで、いろんな後悔をし、それでも似たような失敗をします。
それでも少しずつ進んでいくのですが、一気に加速すると倒れます。
ここでつくづく思うのは、本当に炭治郎は「あの時、自分が家に戻れば」みたいな事を、クドクド考えず、ひたすら前を向いているキャラです。
過去を振り切ろうと決意し、「第二の旅立ち」をカッコよくキメようとする義勇に
蕎麦の早食い競争
を持ちかける炭治郎と、理由が分からないまま、それに付き合ってる義勇は、どこかしら似ている所があります。
「その後」を一番、見たかったキャラが、義勇でもあります。
クールも良いんですが、やはり笑顔が見たかったのと、それが似合う姿にオバハンの私は安心するのでした。