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「鬼滅の刃」の社会学~その16 継国縁壱~

愛の人

継国兄弟は、作品中、最も切ない兄弟です。
不死川兄弟がガチンコでぶつかり合ったり、時透兄弟が片方の死を燃料に変えたりしている中

気持ちのすれ違いゆえの悲劇

な事が多いです。

縁壱の幼い頃の描写は「喋らない、ぼんやりした子供」。
本人は
「自分は生まれてきてはいけなかった子供」
と思っていて、目立たないよう、あえて喋らないようにしていました。

戦国時代に「縁起が悪い」とされる双子で生まれ、痣のせいで「忌み子」として冷遇されます。
それでも父親の目を盗んで、離れに会いに来てくれる兄の巌勝は、天使に見えたでしょう。

父親の縁壱への対応は、「虐待」ではあるんですが、更にタチの悪い事に、「いじめ」の側面までも含んでいます。

兄・巌勝にはきちんとした養育を与えているのですが、縁壱には屋敷の隅の三畳間。
これは「お前は『家族』ではない」という、遠回しで無言のいやがらせ。
着物も粗末で、必要な教育も受けさせていない様子。

縁壱は多分、使用人からも粗末な扱いを受けていたと思います。
そこへ、巌勝は自分の食べ物やオヤツをこっそり、持ってきてくれたんではないでしょうか。

また、巌勝が縁壱と遊んであげていると、縁壱ではなく巌勝の方をブン殴っています。
欄外に父親は「ひじょうに迷信深く、何にでもゲンを担ぐ人」とありました。
「忌み子」には触りたくない、話したくないと避けていたのが分かります。
そして、縁壱を殴るより、巌勝が殴られる姿を見せる方が、縁壱のダメージが大きい事を、おそらく知っています。

ところが縁壱には、とんでもない剣技の才能があるのを知り、父親は方針を変えて、縁壱を跡継ぎにしようかと思案します。

巌勝のためにも、縁壱は幼い身でありながら実家を出奔しますが、この時に巌勝に挨拶に行っています。
縁壱には、「多分、もう二度と会えない大好きな優しい兄」への最後の別れです。
が、見方を変えると少し違います。

ゴタゴタが絶えない家を、兄ごと捨ててる訳です。

兄・巌勝が、父親から顔が腫れるほどの殴打されても、手作りして渡してくれた笛を、大切に持ち、さ迷います。

そして、「うた」という少女と出会い、成長してからは夫婦になります。
面白いのは、ここでしばらく、農夫になっている所です。
縁壱には、武家の息子である事も神業の域に達している剣技にも、自分のアイデンティティーはありません。

ただ、欲しかったのは「家族」。

狭くても愛情に溢れた家で、畑仕事をして慎ましく家族と暮らせたら、それで良かったのです。

それは突然、残酷な形で壊されます。
留守中に、お腹の子供ごと、うたを鬼に殺され、そんなうたの体を10日間も抱いていた縁壱。
もう悲しいとかそんなのを通り越していたのでしょう。
もし鬼狩りの一員が訪ねて来なかったら、そのまま、餓死か衰弱死していたかもしれません。

そのまま誘われるように鬼狩りの剣士になり、兄の巌勝と再会しますが、この時に
「兄上ええぇ~っ!
会いたかったよぉおおお~っ!うわぁあああんっ!」
と泣いて抱きついていたら(善逸状態)、事態は違っていたかもしれません。

ひたすら強くありたいと願い、努力を続けていた巌勝は、実家も妻子も捨てて鬼狩りとして行動を共にし、やがて、無惨に誘われて自身が鬼になってしまいます。

それを他の剣士達から責められる中、無言無表情で佇む縁壱のシーンを見て思いました。
この人は、キャパオーバーになると、頭が真っ白になると言うか、何にも考えられなくなるのではないか、という事です。

被虐待児が自身の感情を切り離して、電池の切れた玩具のようになるのは、よく起こる反応です。
子供時代の、理不尽な、虐待に近い冷遇の中を、こうしてやり過ごしてきたのでしょう。

アイデンティティーが希薄な割に、無惨に会った瞬間
「私はこの男を殺すために生まれたのだ」
とスイッチが入ります。

神仏が存在すると仮定して、この世界が何かのシステムだとします。
無惨は、明らかに不確定要素で生まれたバグ・ウイルスでした。
そのバグを修正するための、ワクチンソフトみたいな存在が縁壱です。

生きる事に固執し、禍々しいエネルギーさえ振り撒いている無惨と、もう何年間も「生まれてきてごめんなさい」と思い続けてきた縁壱の対比が凄まじいです。

「自分なんかに、誰よりも優しくしてくれた兄」
が鬼になったのも、訳が分からなかったと思います。
最後の居場所だった鬼狩りの組織を追われるハメになるのも、兄は分かっていたはずです。

以前、助けた事のある炭吉親子の所へ行き、その娘の笑顔を見て、何を思って泣いたのか。

この時までの縁壱は、何かなげやりな気持ちでいたのに、炭吉親子とその娘を見て、自分の生き方は間違いではなかった事、そしてーー兄に自分の手で引導を渡さなくてはならないという決意をしたのでしょう。

象徴的なのは、子供の頃に母親が着けてくれた耳飾りを、炭吉にあげています。
この耳飾りは、縁壱のアイデンティティーの一部なのに、です。

この時に縁壱は、今までとは違うやり方で、例えば、一人ぼっちでも鬼を狩りながら、いつかは兄と会う日を覚悟して生きていこうと、静かに決意していたのかもしれません。

珠世には、縁壱が死ぬまで、無惨は隠れて出てこないだろう、と言われています。
兄も同様です。

ただ、「神に愛され選ばれた人間」であるところの縁壱さんです。
しかも、鬼狩りの柱の数名とは連絡を取り続けているし、新しいお館様もそれを黙認しています。
「鬼狩りを追放」されても、人脈は絶えていません。
本気になったら、見つけるのは簡単なハズです。

なのに、あんな老いてギリギリになるまで会わなかったのは、兄が改心するのを待っていたのかもしれないし、何だかんだと言って、自身が手を下すのが嫌だったのかもしれません。

この人の最大の不幸は、「神に選らばれし存在としての身体能力と剣技」を与えられながら、中身は

「普通の幸せを願う、普通の人」

だった事です。

最後も、何だか、寿命が尽きるのを分かってて挑んだ戦いのようにも見えます。

けれど、屋敷の暗い三畳間に、あれこれ持って会いに来てくれた幼い頃から、優しくて大好きで大切な兄上だったのです。
父親の暴力なんかなんのその、という兄の優しさ、母親や、うたとの日々、そんな思い出と
兄から貰った笛だけを心のよすが
たった一人で寂しくても生きて来たのです。

そして、それとは別に、兄の厳勝が子供の頃から縁壱に拘っていたのに、縁壱は別の地で成長し、所帯を構えたり、鬼狩りに所属していたり、なんだかんだと言って自立しています。
どこか、「自分は自分」といった達観を感じます。

外見ですが、兄の子孫の時透兄弟の方が似ています。
こうした外見の違いも、「双子の兄弟」という繋がりを弱くしています。
性格も「どこか天然」な感じがします。
鬼狩りの任務以外では、割かし子供っぽい事をして遊んでたという想像(妄想)をさせるユルさがあります。

しかし過酷な幼少時代から青年期にかけての経験は、縁壱を早くから大人に成熟させるのには充分でした。

驚くべき事に、実父への恨みの描写が全くありません。
「こういう時代だから、仕方ない」というように(多分)、根に持っていないのかもしれません。
これも「人格者」としての側面でしょう。

炭吉に会いに行った時は、本当に疲れていたのでしょう。
「普通の人間の幸せ」も手に入らず、「神に与えられた指命も果たせなかった」と本人は炭吉に言っています。
それでも、ヒトとして懸命に生きた彼は、飄々と生を全うし、飄々とした死を迎えます。

「あなたは価値のない人なんかじゃない」
と、炭吉が言った通りです。
悔いはなかったと思います。
別れ際に炭吉に向けた満面の笑顔が、その答えだったと思います。

何故なら、これほど恵まれた能力を持ち、それゆえに、これほど過酷な人生を送りながらも、縁壱は忘れなかったのです。

人間讃歌を。
この地上に存在する、美しい全ての四季や自然を。
全ての命を愛する事を。
未来に希望を託す事を。