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「鬼滅の刃」の社会学~その22 最終回の考察・参考文献~

ネタバレ注意




鬼滅の刃」の最終回は、まさかの現代が舞台でした。
この最終回については賛否両論でしたが

「鬼が滅んだ後の主人公達の、その後」

を夢想させるには大切な回だったと思います。

鬼以外のキャラの子孫、あるいは転生した姿、子孫であり生まれ変わりといった人物が、鬼のいない世界で暮らしています。

炭治郎は転生しているのかどうか、微妙です。
外見は炭治郎そっくりなんですが、性格が違い過ぎる感があります。
ただ、この回にはひじょうに大切なテーマが語られています。

それまでは「想いを繋ぐ」のがテーマの一つでした。
が、現代では

一人一人が、その人の人生では主人公である

という素晴らしいテーマでした。

つまり「モブなどこの世には存在しない」のです。
物語を読む人は、ついつい勝手にキャラに順列をつけがちですが、それが傲慢な事であると教えてくれます。

キャラ達のその後ですが、「『痣者』は25歳までに死ぬ」というのはどうなったのかが気になるところ。
それを見越して、炭治郎や善逸は早くに結婚し、子供を作ったんだろうか、とか
富岡義勇と不死川実弥は後数年で……という状況で子供を作るとは思えないので、案外、25才を過ぎても皆、元気だったのではでないか。
痣の発現が短かかったし、戦国時代の鬼狩りと違って、一人にかかる負担も比較的少なく済んでるハズ、そして何より、もう鬼はいないから……と私の希望です。

鬼殺隊解体後の仕事ですが、炭治郎は炭だけでなく、施設増築(業務拡張?)して瀬戸物を焼いて売ったり。
伊之助は山育ちなのを活かし、蝶屋敷の後を任されたであろうアオイのために、薬草園など作って経営(だから子孫が植物学者になってるという伏線)、その炭治郎と伊之助の、物流やお金の管理を助けるために、善逸は商社勤務…………楽しそうです。

こういう想像が楽しいのは

人は未来や夢がないと萎む

からです。

鬼がいない現代社会で、転生あるいは子孫はいきいきと生活し、かつての鬼達は出てきません。

特に、ファンを喜ばせたりガッカリさせたのは、縁壱がうたと転生し、幸せな家庭を築いているシーンでした。
縁壱のファンや、継国兄弟の複雑な愛憎関係に魅せられた人は、微妙な気持ちになった方も多いと思います。

弟の縁壱には、三途の川で兄の巌勝を何百年でも待っていて欲しかったという感想もよく聞きます。
けれど、縁壱はもともと精神的に自立してた人なのでやむ無し、ではないかと思います。
あるいは。

兄の厳勝が消滅するまで
背後霊みたいに見守っていた
のかもしれません。

そして何よりも、「神が作った最高のワクチンソフト」である縁壱でも敵わなかった「無惨というバグ(ウイルス)」を

普通の人達で協力し、知恵と努力と、持ち得る力の全てを出して、志を千年間も繋いで倒した事

これは大きいです。

どんなホラー映画でも、勝つのは普通の人達の希望です。

いろんな方の考察や感想を読んで、原作やアニメでは描かれなかった部分、ストーリーの隙間から漏れ出る少しの情報から、本一冊分のお話を作ってしまう二次創作や同人文化というものに、私は深い感慨と敬意を持たざるを得ません。

そして、中高年やシニアを惹き付けるというパワーとストーリーの巧みさ。

私が高齢者になったら、と考えたのですが

介護施設で『薄い本』を書いてコミケで儲ける」

と老後の楽しみを見つけました。

昭和になり戦争に突き進む、暗く重苦しい世相の「その後」を書くより、「鬼が存在せず、のびのびと生きられる現代」を描きたかったのではないでしょうか。

この物語では
「人が人へ想いを繋ぐ」
というテーマの他に
「その人の人生に取っては、その人が主人公」
「強くなるには努力しかない」
が主でした。

その他にも、私は

「『適性』は、後からついて来る事も多い」

がありました。
善逸や伊之助の変化なんかが、それに当たります。

そして、一部の鬼以外は

愛すべきキャラばかり

だった事に改めて気付いて驚きです。

家族も家もないからと、善逸と伊之助が、炭治郎と禰豆子と四人で生活をしているのも、心から温かくなりました。


長くなりましたが、「鬼滅の刃」の考察するにあたって、新しい発見があった事、人間の持つ明暗と可能性、居場所の作り方、いろいろと学ぶ事が多かったのと勇気づけられた事がたくさんありました。

そして開国以来、一般大衆が西洋化していく中、「日本」という国のアイデンティティーをどこに残すか、という時代。
私は遡って、いろんな命や想いを繋げた人達の果てに、ここにいるのだと実感し感謝しました。

小学生がこの漫画から、日本近代史への興味を持つようになったという話を聞くと、何だかホワホワします。

そして何よりも

人は卓越した能力などなくても、その責任を果たす限り、居場所がある

という部分に泣けました。

例えば、炭治郎が禰豆子を鬼のまま殺されて一人になってしまったとしたら。
惨劇のあった生家で、以前と同じように炭焼きをして、淡々と暮らしていたと思うのです。

自分の力の底上げだけでなく、能力値の天井を取っ払ってくれた育手、重い責任を果たしている鬼殺隊の面々、知らない価値観を見せてくれた仲間達、こうした他者との関わりで、炭治郎は変わっていきます。

仏教的な考えなのですが、私はかつて

人は成長する時に試練を与えられる、そして成長の大きさに伴い試練も大きくなっていく

と言われた事があります。

階級が癸の時はそれなりの強さの鬼、昇進するにつれて鬼も強くなっていく、まさにこれです。
そして、単なる「鬼退治」だけではない部分も自分を苦しめたり、新しい発想を与えてくれたりします。

生きる事を諦めてはいけないのだと、思わせられたシーンがなんと多い事か、と感じます。


作者様、たくさんの二次創作作家様、参考にさせて頂いた本の筆者様
何よりも
このブログを読んで下さった方

本当にありがとうございました。

これにて終幕。


おまけ*他の鬼やキャラの考察・分析ですが、この調子で行くと来年まで書き続けてしまうので(ホントに)、次なる劇場映画やテレビアニメ化があれば。

暫しの幕間でございます。
皆々様、長のお付き合い、おありがとうございます(チョーン!)



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以下、参考文献です。

鬼の起源から武士社会への変換の解説が分かりやすい。美しい図版が多い。
細かい解釈が多いが、日本近代史の入門書として良書。
心理学を駆使しての解説。ひじょうに影響を受けました。
「家族」という物、地域社会(いわゆるご近所さん)について、日本人が持つ概念の研究の本です。「鬼滅の刃」には「家族」「疑似家族」がモチーフとなっていますが、その正しさと危うさをご一考下さい。
時代物を書く人にはぜひ。
お話を作る人、楽しみたい人にぜひ。
キャラクターの必然性が分かります。


他にも、各項目に貼ってあります。

また、大正時代、戦国時代の文化・風習は高校の日本史教科書と、そのサブテキストを参考にしました。

ブログ中ではあまり触れませんでしたが、神楽舞いについてはTwitter神職の方のお話を参考にさせて頂きました。
明らかに「鬼滅の刃」の中でモデルにされたのではないかと思える神社での祭祀が、日本にはいくつかあります。

日本史にご興味が出た方、どれか一冊、是非、お手に取ってみて下さい。


おまけ*一番アクセス数が多かったのは、厳勝の回でした。
縁壱の回は、感極まって、泣きながら書いていました。

誤字、脱字、変な改行、解釈の違い、甘んじてお受けします。
罵って下さい。
今後の糧にします。
ワタシ、長女だし!(ドヤサ!)

人に伝えるブログと言う物があった事にも、感謝しています。