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「みいちゃんと山田さん」アニメ化。


『みいちゃんと山田さん』アニメ化騒動について思うこと。


『みいちゃんと山田さん』のアニメ化が発表されて以降、SNSでは賛否両論が巻き起こって、いっときは大火事でした。

 

作品内容や描写への懸念から反対する声も少なくなかったです。

実際、アニメ公式も異例ともいえる声明を発表し、「慎重に制作を進める」と説明する事態になり。
しかし個人的には、この騒動を見ていて

「そこまで大きな問題なのだろうか」

と感じています。

まず、多くの人が前提としている「アニメ化によって子供たちに悪影響が及ぶ」という話だが、実際に放送されるとイマドキのアニメはすれば深夜枠。

そもそも本作は歌舞伎町のキャバクラを舞台にした作品であり、子供向けコンテンツではありません。

深夜アニメが社会現象になることはあるが、それでも本作が全国の子供たちに広く浸透するほどの影響力を持つとは正直思えません。
また、表現の是非という観点でも基準がよく分かりません。

世の中には『タコピーの原罪』や『闇金ウシジマくん』のように、重いテーマや救いのない現実を扱った作品が数多く存在します。

そうした作品の映像化は許容される一方で、『みいちゃんと山田さん』だけが特別視される理由は何なのだろうか、と悩みます。

本作は連載初期こそ社会問題を扱う社会派作品として読まれていました。

しかし読み進めていくと、むしろ社会問題そのものよりも、社会からこぼれ落ちていくみいちゃん個人の人生へと焦点が移っていきます。

特に後半はフルスロットルです。

社会を告発する作品というより、一人の不器用な人間が転落していく過程を描いた物語に近いです。

一方で、この作品に対して違和感を覚える部分もあります。
読者の多くはみいちゃんに何らかの知的障害や発達上の特性を見出しています。

しかし作中でそれが明言されることはなく、医学的な診断名も付いていないません。

一般的に障害や精神疾患を扱う作品には医療監修や専門家の監修が付くことが少なくないが、本作にはそうした監修者の存在が確認できないのです。

そのため、みいちゃんが何者なのかは最後まで曖昧なまま。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。ただ、その曖昧さゆえに読者ごとの解釈が大きく分かれ、「障害者を描いた作品なのか」「そうではないのか」という議論が終わらない要因になっているようにも思います。

そして正直なところ、この作品のテーマが何なのか、今でもよく分からない。

社会福祉の不備を描きたいのか。 夜の街の現実を描きたいのか。

弱者男性や弱者女性の問題なのか。 あるいは単純に、みいちゃんという人物の人生を描きたいのか。
作品を読み終えても、明確な答えは見えてきません。

ただ一つ確かに感じるのは、みいちゃんが不憫だということ。
もし早い段階で適切な支援があり、周囲に助けてくれる人がいたなら、彼女の人生は違ったものになったかもしれません。

 

作品を通して伝わってくるのは、社会批評というよりも、そうした「手が届かなかった人」へのやるせなさ。

また、最近では作者の過去の発言や出自まで掘り返されているが、それは作品そのものとは切り離して考えるべきでしょう。

作品の評価は作品で行われるべきであり、作者個人への好き嫌いとは別問題だからです。

実際に「みいちゃんと山田さん」には、プロトタイプも入れて、三つもバージョンがあります。


そして興味深いのは、あれほど激しかった炎上も別の話題が出れば急速に沈静化してます。

実際、別の大型作品の映画公開など新しい話題が現れると、SNSの関心はあっさり移っていく……。

結局のところ、ネットユーザーの関心とはそういうものなのでしょう。


アニメ化に賛成か反対かと聞かれれば、私は「どっちでもいい」というのが正直な感想です。
見たい人は見るだろうし、見たくない人は見なければいい。
それよりも、この作品が描いてきたみいちゃんという人物の人生を、アニメがどのように表現するのか。その点だけは少し気になっています。

 

単行本化される前から追いかけてきた作品です。

最後まで見届けたいと思います。