少女終末旅行第一巻・アセスメント。
まさかのアニメ化で驚いております「少女終末旅行」。
こうした「わざと情報を控えて、見る人の推理したい欲望をかきたてる」
てのが私のツボです。
いろんな方が、いろんな考察をされてますので
ここは私なりの、という事でご容赦下さい。
原作、アニメ、アンソロジーからも、分析材料を引っ張ってます。ネタバレもありますのでご注意下さい。
世界観を考察するにあたって必要なのは、こちらの文字です。
- どういう時代なのか。
- チトとユーリは何者か?
- ヘンにまったりとしている世界観。
- 旅の目的。
- カナザワ氏の諦観。
- カメラで分かる文化。
「時代」ですがopアニメを見ても分かる通り、主人公のチトとユーリは下から上へ上へと上っています。
アニメの第一話でチラリと出てきた男性が、二人にケッテンクラークの鍵を渡し、見送っています。
それを夢で見て涙ぐむチト。
この世界は多層都市で、ミルフィーユやパイのようです。
それを上に行かなくていけない理由があるようです。が、何があるのかは本人達も、よく分かっていない様子。
この、ものスッゴい多層都市ですが、こうなった理由も分かりません。
一番考えられるのは、下層には住めなくなって上へ上へ都市を作ったと考えられます。
「洗濯」で出て来るセリフから、チトとユーリが海を知らない、概念も理解していないのが推測されます。
安いSFによく出て来る「人口の爆発的増加」や「海面の上昇」はあんまり考えられません。
どうしてかと言うと、文化があまりにも変容していますし、チトとユーリは知らない物や見た事のない物が多過ぎます。
もし、人口爆発や海面の上昇による都市構造の変化であれば、それなりに、いろんな事が継承されていくのがヒトというモノ。
固形食料(レーション)などの文字はかなり簡略化されています。
そして二人は魚を初めて見ます。
毒の有無も考えずに食べるのですが、この魚も変にシンプルで、食用として大量に生産されていたのではないかと伺えます。
このエピソードで分かるのは、文化や文明が、どこかでスッパリ、分断されているという事です。
チトとユーリは夢のシーンで二人は、そこそこ人の集まっている集落みたいな場所から来たのではないかと思えます。
そして、原作の番外編から、二人を拾って育ててくれた人物を「おじいさん」と呼んでいるのが分かります。
そして、実の親の記憶がありません。
何より、二人とも、子供がどうやったら出来るのか知らないのに驚きます。
生活して行くのに必要な備品を持っていますが
女の子二人なのに、生理の描写がありません。
生々しいので省いてるだけかも知れませんが、月経を伴わないクローンみたいな作られた存在かもしれません。
それと、「世界の終末に女の子二人」って事は
「子孫が残せない」という事でもあります。
希望がなさ過ぎです。
こうした終末物にありがちな逼迫感がないのも、ほのぼのと言うより、いろいろ諦めてる感が漂います。
だって、食べ物がないと死ぬ訳ですが、そうした事への不安より
「補給して移動して、何のために私たちは、こうしてるんだ」
という虚しさをチトが語ります。
娯楽もないし、都市はガラクタだらけですが、それでも二人の毎日は楽しそうです。
ユーリは楽天的ですが、時々、鋭い事を言うので
チトより希望を持っていないのでしょう。
旅の目的は、いざ最上層。
第一話で無数の流れ星がジャカジャカ(?)流れてますが、あれは本当に流れ星なのか。
残された食料や燃料を探して掘って見付けて積んで、二人はひたすら移動します。
このケッテンクラークですが、一巻のあとがきでは、現役バリバリの当時の(主に二次大戦)の物ではなく、記録を元に新しく作った物とありました。
だから、荷台やエンジンの位置が当時の物と少し違います。
そして二人は、地図を作りながら旅しているという男性・カナザワ氏と出会います。
上層の入り口まで連れてってくれと頼まれます。
妙齢の男性が若い女の子と会ってヒャッハー‼
な「北斗の拳」状態にはならず(それ、違うアニメやろ)、飄々としているカナザワ氏。
そこで塔とレール式の昇降機。
ここでハッキリと
この都市は元々、古代人が作った物で
何らかの理由で使われなくなくなり、使い方も分からないので
現代人が周囲に残るインフラを活用して住み着いたのが分かります。
「古代人」=私達の未来の世界に生きていた人達。すごいハイテクを駆使していた。
「現代人」=チトやユーリのように、「古代人」の文化や文明を継承されていない人達。どこかアナログ。「チーズ」も「チョコレート」も知らない。
という図式が見えてきます。
冒頭の文字ですが、かなり簡略化されたひらがなで、漢字もアルファベットも出て来ません。
平仮名は元々、漢字を簡略化した物ですが、チトとユーリの使う文字は平仮名だけで
簡略の仕方も表音記号みたいです。
漢字は表形記号でして、並べると字面だけで何となく意味が分かったような気にさせます。
軍事や医療の分野では、それだと困るので、なるべく英語表記に(日本)はしようとしてます。
ハングルも80年代は漢字を使わないように啓蒙していました。
してみると、チトとユーリの暮らしていた階層と文化圏では、専門用語や難しい表記が必要とされなかったのか、意図的に排除されていたのかもしれません。
現にチトは「発電所」という文字が読めません。
そして、ユーリは読み書きそのものが満足に出来ません。
文化だけでなく、学問や教養も必要とされず、学校などはない世界にいたのでしょう。
それと、カナザワ氏の地図に出て来る文字は、簡略化されているのは同じですが、明らかにチトとユーリの使っている文字とは違っています。
カナザワ氏もまた、違う階層の違う文化の場所から来たのがサラリと示唆されています。
地図を失う事になり、カナザワ氏はもう死ぬんだと投げやり。
固形食料を渡して慰めるチトとユーリ。
塔の上から都市を見ると、まだ電気が生きていて、まばゆいばかりの街明かりです。
もちろん、都市は更に上に続きます。
カナザワ氏は北へ行く、また、地図でも作る、と言って、固形食料のお礼にカメラをくれます。
しかし…………地図を作っているカナザワ氏なら分かっていると思うのです。
高層都市のせいで、北は極端に日照時間が少なく、寒いのを。
それはそれで構わないのかもしれません。
三巻のあとがきに、チトの日記が出てきますが、原作でもアニメでは語られなかった部分があります。
それは、実は大人の男の人は怖いと思っていた事。
ただ。もし、カナザワ氏が付いて来たいとと頼めば、二人は受け入れていたのかもしれません。
それと、何でどこもこんなに雪ばっかりなんでしょう。
「核の冬」にしては夜空も綺麗だし、チトとユーリに健康被害も出ていなさそうです。
考えられるのは
何らかの理由で地球の地軸が傾き、言わば「逆エヴァ」状態。
カメラという物を知ってはいたが、初めて見たような二人。
さてはて、このカメラが二巻では、この世界の成り立ちを教えてくれます。
いつも読んで下さって
ありがとうございます。
「生き甲斐」を説くカナザワ氏と
食べる事が出来れば良いというユーリと
存在理由よりも、ひたすら運転してるチト。
人生は乗り合い馬車みたいなモンかも。