ラストエンペラーの二人の妻2~天津でのイケてる夫婦~
皆様、こんにちは。
前回の記事です。
slowstudy.hatenablog.com
当時の貴重なフィルムです。
溥儀與婉容
これを見ている限りでは
婉容さんは
ニコニコしてて可愛らしいし、萌えなキャラです。
共産党から紫禁城を明け渡して平民になれ、と言われ
仕方なく紫禁城を去る溥儀ですが
実は新婚当初、妻二人を置いて一人でブッチしようとした事があります。
これには婉容も呆れ果てて、まあ、政略結婚だし……と諦感してる節もあります。
ワダスは皇帝の妻なのに!
紫禁城を野蛮な平民から取り戻せっ!
と血気盛んな文繍。
婉容が英語に堪能な事も、自転車に乗れる事も
もう、なんもかんもムカつく~っ!
そこへ川島芳子が表れます。
婉容も文繍も、颯爽としていて自立している川島に魅了されます。
この頃から文繍の中では
「自分では皇后に相応しくないと、婉容が身を引けばいいのに」
という思いがグツグツと煮えたぎっていて
それを遠回しに伝えたりしています。
婉容と溥儀の夫婦生活は実態がないし、なら、ワダスが陛下のお子を産めば大きなチャンス!
溥儀と婉容と文繍は
紫禁城を離れて
天津の張園に移り住みます。
紫禁城には程遠いですが
現在の感覚でも豪邸です。
それまで別の離宮にいたからこそ保たれていたバランスが
近くに三人いることによって徐々に崩れ始めます。
この頃の溥儀は
ヨーロッパ、できればイギリスに亡命か留学するか
いっそ何とか皇帝に返り咲きたいという思いを強く抱き始めます。
その隙を突くように
日本関東軍が近付いて来ます。
この天津では外国人が多く住み、婉容は重くて動きづらい宮廷服を
エイヤ!
と脱ぎ捨てて、チャイナドレスやスーツを身につけ、ハイヒールを履き始めます。
文繍は溥儀が関東軍と仲良くするのを反対しますが、無視されます。
何よりも屈辱だったのは
公式の場所、新聞報道などオフィシャルな物では
溥儀と並んでいるのは
必ず、正室としての婉容です。
また、張園に人を呼び、外国の大使も
英語が堪能でさっぱりした性格の婉容を
チヤホヤします。
ヨーロッパへの留学or亡命の望みを捨てていない溥儀は
三人で買い物に行く事もあったのですが
ここでも文繍は婉容にライバル意識を燃やします。
婉容が口紅を一本買ったら
同じ物を一本と色違いの物を数本買う、といった具合です。
溥儀はスーツをまとい、お洒落してプレイボーイを気取ってはいますが
対外的に妻と一緒に仲睦まじい所を見せていた方が得策と考えたのか
パーティーやプレスの取材や観劇などは
婉容と連れ添って行きます。
ファースト・レディーはあくまで婉容な訳です。
史実ではないかもしれませんが、「お見合い写真で先に選ばれたのはワダス」と言った時の事。
溥儀が言ったのか誰かが言ったのか。
「相手は誰でも良かった。
そもそも、結婚が嫌だった。
一番醜い女性の写真を選べば、結婚するにはまだ幼く早いと思ってもらえると考えて、文繍にマルを付けた」
これがホンマだったら大変です。
だって、「お見合い写真では自分が先に選ばれた」のを、心の支えに生きて来た訳ですから。
しかも、溥儀も婉容も
窮屈な紫禁城より天津での生活の方がのびのびしてます。
三千年の歴史ある中国文化を捨てて、とにかく
キーッ(*`Д´)ノ!!!
この生活に転機が再び訪れます。
奉天で列車の爆破事件が起こり、溥儀が頼りにしていたブレーンが亡くなります。
その後、「陵辱事件」、代々の皇帝の墓所が荒らされ
埋葬されていた貴金属は盗掘、西太后の遺体にもひどい事をされます。
この事件は溥儀にトラウマを与えます。
何としてでも、皇帝になってやる!
と決意させてしまったのです。
続く
いつも読んで下さって
ありがとうございます。
激動の時代、ってよく言うけど
激動ではない時代ってあったのか。
水