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地位も名誉やお金より、自分の純度を上げたい。

「鬼滅の刃」の社会学~その20 鬼舞辻無惨~

威厳あるヘタレ

無惨様と言えば、有名な
パワハラ会議」
です。

下弦の鬼・累が殺され、他の下弦の鬼を集めて難癖つけて、一人を除いて粛清してしまいます。

これは悪手です。

言わば前線を張る部隊のような下弦を無くして、鬼の組織を弱くしてしまっています。
下弦程度の強さの鬼は、ある程度量産出来るようですが、知恵を駆使して働ける鬼はそうはいないはずです。

また、禰豆子に拘ったせいで、鬼殺隊が柱稽古という強化する時間を与えてしまっています。

人材(鬼だけど)に恵まれなかったのは、無惨の「自分だけ生き延びるためには、他の鬼は手駒にとして使う」
という冷酷さを、他の鬼も知っているから、下弦の鬼達は真面目に働かなかったのです。

そして、すごく疑問も抱いたのは、このパワハラ会議の時に、無惨は女性に擬態していますが、その理由が分からないんですよね。
擬態してるのは理由が明かされていますし、芸妓なのは客からの情報収集だそうです。
が、鬼の前でワザワザ芸妓になっている必要性が分かりません。

無惨に取っては、年齢や外観、性すらも、アイデンティティーとして機能していないのかもしれません。
千年も生きていたら、そうなるのもやむ無しかも。

それでいて、自分以外には、鬼に対しても人間に対しても、共感性が全く感じさせません。

最終決戦で、「自分に襲われた事なんか忘れて働いて平穏に生きていけばいーじゃん」みたいな事を滔々と延べて、鬼にも優しい炭治郎を本気でブチ切れさせています。

「何をしても自分は許される高尚な存在」
だと思いたい無惨は、日光の克服に拘りがあります。
別に夜しか活動出来なくても構わないけれど「この世で唯一無二の完全な生命体」
でありたいだけ。

何と言うか、「クトゥルフ神話」の神みたい。

興味深いのは、「五つの脳と、七つの心臓を有している」という所です。
海の軟体生物みたいです。
陸の生物の牛も胃が四つあr

それはともかく。

最終決戦で、隊士達を殺戮して食べた後
「何かを食べて旨いと思った事はもう何年もないが、これは美味だった」
と言うような事を語ります。

ここで私は「?」となったのです。

生に拘るのは三大本能が強くあるからだと思っていたのですが、それが薄いとしたら、何でこんなに永遠の命に拘るのか。

そのくせ
「小腹が空いた」
というアホな理由で、人間だった頃の魘夢を食べるために殺して鬼にしています。

その「食欲」への強い希求部分も、作中では描写がありません。
何だか「死んだまま生きてる」ような感じすらします。
ふと行き着いた考えですが
「コタール症候群」という精神疾患に近い感じです。

この病気は
「私の心や精神、魂は存在するが、脳や体は死んでいる」
と主張する病です。
脳の前頭部から前頭部後方部の代謝が著しく低下していて、重い鬱病のようになっているのも特徴の一部です。

最近だと、患者は「私はゾンビだ」と言ったりします。

そうした病気の症状と似ています。

脳が五つもある無惨ですが、人格が何人も存在する訳ではなさそうです。
じゃあ、自我はどうやって保っているのか。
五つの脳みそで分担しているのか(「怒り係」とか「弱音係」とか)、あるいは共有しているのか。
どういう大脳生理なのか、不思議です。

思いどおりにならないと激昂したり、思い付きで部下を粛清したりと、感情の波が荒いのも、「むやみに増やした脳みそ」
がそれぞれ好き勝手に暴走してるようにも見えます。
つまり、「人格の統一性」がなんか弱いし、「生きたい」以外の行動原理も強くない、ブレブレなんですよね。

彼は怒ってるか、企んでるかしかないシーンが多く、真から喜んでたり淋しそうにしてるところもありません。

最初に主治医を、問答無用で後ろから、いきなり殺した場面で思ったのですが、相当、怒りの沸点が低いのでしょうか。

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「過狩り狩り」でのプロトタイプ無惨。珠世と愈史郎とは共闘している。高畠華宵のような大正モダンな画風も見どころ。

「生きたい」と思いながらも「生きる喜びのない日々が延々と続く」のですから、これは鬱っぽくもなります。

部下の管理もしかり。

「何故、下弦の鬼はこんなにも弱いのか?」

……………………あんたのせいやろがいっ!!

こんな、しょっちゅう入れ替え戦やってて、戦果や情報出さなきゃ粛清って、そら働かなくなるよっ!!

だから、下弦の鬼でありながら、家族ごっこにしか興味がない累の事は気に入り、好きなよーに、やらせていたのでしょう。
体が弱くて鬼になった、という点も似てるし。

無惨には
「貫き通したい悪」
の美学がありません。

お金と情報に振り回されている時点で、悪の自覚も矜持もなし。

神仏も罰も信じていないのですが、その割りに臆病者です。
縁壱に殺されかけた時は、いわゆる「ポップコーン状態」になって逃げたという、類を見ない逃走術。
しかも縁壱が死ぬまで、じっとどこかで潜んでいます。

なに、このヘッピリ腰。

「美学」や「矜持」の反対は何でしょうか。

おそらく「堕落」「退廃」「倦怠」なんだと私は思います。

寝たい時に寝て、食べたい時に食べて、やるべき労働もしない。
協調も共闘もしない。
ひたすら思い付きでダラダラ。

こんなん「カリスマ」にはなれません。

最終決戦では、自身を第四形態にまで変えてまでも、みっともなく足掻き生きようとします。
何故、こんなにも死を恐れるのか、と疑問に思います。
千年という生の中で、何一つ成し遂げて来なかったというコンプレックスを感じます。
だから産屋敷の言う、「思いこそが永遠」を目の当たりにして泣き、最後に何とか最強の鬼を作ろうとするのです。

ヒトの世の中では孤独も平気だったはずなのに、これから先、永遠に近い時間、常闇の世界で苦痛に耐えなくてはならない事を知っているからです。

無惨の悲劇は
誰も彼に

愛を教えようとしなかった

事です。
下手したら粛清されるし、また、恐怖政治で支配しようとしたのが間違いでした。
そして、無惨はどうやら、自身の事も好きではなかったように見えます。

自分を抱き締めてあげるのは、自分自身でもよかったのに。

無惨もまた、自分自身への加害者だったのでしょう。