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「鬼滅の刃」の社会学~その17 継国厳勝/黒死牟~

優しきハンパ者

同じ双子で生まれたのに、弟はさして訓練もしていないのに、スゴい剣の才能があり、長じては人格も素晴らしい……燃え上がる嫉妬の炎毒。

縁壱に嫉妬や妬みを覚えるまでの幼い頃の厳勝と、それ以降は、もう別人です。

跡取りとして大事に育てられた若君の自分。
屋敷の端で冷遇されている弟。

弟を可哀想に思い、父親の目を盗んで会いに行く姿は、幼いながらも立派な「武士」。

父親にブン殴られても、笛を手作りし、腫れ上がった痛む顔に笑顔を浮かべて、コッソリ渡しに行くのですが、これはなかなか出来る事ではありません。
ただ、厳勝はこの笛と渡した事は覚えていても、わざわざ自分で作って、しかも呼子として使うように言った事を覚えていないようです。

こうした事を「当たり前」に出来る優しさが、本来は性格に根ざした人だったのです。

縁壱の剣技に嫉妬を覚え、自分勝手に実家も妻子も捨ててまで鬼狩りの組織に入り、最後はそれすらも裏切ってしまう利己的な部分は、嫉妬と共に生まれたのでしょうか。

なんつーか、猗窩座もですが、「誰よりも強くなる」って、なったとして、だからどうするのか。
だったら戦国時代なんですから、「俺が天下を取る!」という方向に何故、行かなかったのか。

言えるのは前項で述べた、弟・縁壱の求めた物は「普通の人の普通の幸せの日々」です。
巌勝は縁壱との再会前に、それらを簡単に手に入れてます。
でも彼に取って、それらの日常は「どうでもいい、のどかで退屈な日々」でした。

鬼になった後、無惨と「日の呼吸」の剣士を殺戮しまくり、鬼狩りを壊滅寸前にまで追い込んでいるのに、本丸の縁壱には髪の毛一本触れる事が出来ません。
もっと早くに会う事も可能だったろうし、無惨と二人がかりでなら縁壱を倒せたかもしれません。
なんで、なんでという叫びが聞こえそうです。

「憧れは、理解から最も遠い感情」
と言います。
厳勝は自覚のないまま、縁壱に(会えなくても)依存していたのと、同一化願望があったのでしょう。

似ている双子は
「違う個人」
である事にすごくこだわる人が多いと聞いた事があります。

二卵性で似ていない・男女の性が違う双子では、このこだわりはあまり生まれません。
見ただけで分かるからです。

「自分は継国厳勝という個人である」
という気持ちと
「(自分の理想である)縁壱になりたい」
と気持ちとの間を行き来してるから、苦しかったと思います。
また、父親から、機械の部品の一部みたいに扱われていた事も、幼い心を壊すのには充分だったでしょう。

この人の「極端な白黒思考」、つまり「百点でないなら、0点と同じだ」という考え方にも問題があります。

どうすれば良かったのかというと

あるがままに生きる

つまり、Let It Be で良かったのではないか。
レリゴー
でも良かったのではないか。
無理に無いものを得ようとしないで、持ってる物を育てれば良かったのではないかと思います。
アナと雪の女王」のエルザの心理の変換は、確かに巌勝と似ています。

そして、巌勝が「憎しみという依存」に陥っていたのに、縁壱はとっくに自立していました。
ここで縁壱が、巌勝に愛情を求めて無茶苦茶していたら、立派な共依存になっていたでしょう。

ただ、人間の頃、戦国時代に味方と野営してて鬼に襲われたとあります。
厳勝がどこのどんな武士だったのか言及されていませんが、戦国武士として、剣は上手くても管理能力はそれほどでもなかったのではないかと思います。

何故なら、この人の「必要ないと判断したら、容赦なく捨ててしまう」という利己性では、いつか人がついて来なくなるからです。
「ダーク・ナイト」のジョーカーがその典型です。

しかし、そうした冷酷さを抱えているにも関わらず、縁壱が死ぬまで持っていた笛(かつて厳勝があげた物)を見つけ、その笛を、厳勝はさらに数百年も持っていたのはどうしてでしょう。

気持ちを顔や言葉に表さなくても、深く自分を慕ってくれていた弟。
幼い頃、自分が守らなきゃと思っていた弟。
自分には見えない世界を教えてくれた弟。
どうしても、忘れられない弟。
殺す事も、殺される事も叶わないまま、先に彼岸へ旅立った弟。

そして。

兄である自分のためになんだけど、自分を置いて幼いながらも家から出ていった弟。

そうしたいろんな感情を、唯一、形にして残していたのが、その笛でした。

「私はお前が嫌いだ」
と心の中で何度も呟きながら、やはり
愛していたのです。

愛おしい大切な弟。
素直に愛するには、弟はあまりにも優れ過ぎていたので「憎む」という形に変えるしかなかったのです。

さらにどうすれば良かったのか。

一度、腹を割って本音で

兄弟ド喧嘩
でもしていれば事態は変わっていたと思います。
子供みたいに、思うまま気持ちをぶつけていたら、心だけは二人して幼い頃へ帰れた可能性があります。
そして、いつかのように、互いの手を握り、太陽の下どこまでも駆けて行けたのに。

縁壱の日の呼吸は、神楽に形を変えても受け継がれ、自身の月の呼吸は形すら残っていないのは何故か考える必要があったのに。

この一連のエピソードを見て私は「うーん」と思ってしまいました。

依存や癒着が強い、言わば「精神的な双子」のような心理状態に陥った人を無理に引き剥がすと、発狂するケースが少なくありません。
共依存」より重い癒着だからです。

もうひとつは
「ボディー・イメージの極端な変貌」
も挙げておきます。

例えば事故などに遭い、気付いたら四肢の一部が欠損していたとしたら、普通はすんなりそれを受け入れられません。

厳勝は「瓜二つの双子」ではありません。
「よく似た兄弟」と言う程度です。
周りもそう認識していたと思います。
その「縁壱と似た顔」を、厳勝は嫌がりながらも、どこかでそれに安心を得ていた気がします。

その「弟とよく似た顔」が、鬼化したら六つの目のスゴい顔。
「どこからどう見ても、あやかし」となったのを自覚した時、厳勝の中でタガのような物が外れたのだと、私は推測しています。

「巌勝」が「黒死牟」になって、外見すらも似ていない、「縁壱とは別個の人間」だと本格的に自覚せざるを得なくなった時に、巌勝は実はおかしくなっていたのではないかと思います。

顔が変わっても、自身が作ったしがらみからは逃れられません。

ヒトは自分自身から逃れる事など出来ないからです。

当時の産屋敷当主を殺害し、首を無惨に捧げる行為も、日の呼吸の剣士を殺戮して回ったのも、大正になっても戦国武士のまんまなのも、筋が通っているようでいて、奇行と言うか、壊れているようにも思えます。

最終決戦で、自身の第四形態にショックを受けますが、厳勝の「なりたかった自分」が、あれ程、理想と欠け離れた姿になっていたのは、本人も予想外だったのでしょう。
理想の自分、それは「何百年たっても忘れられない」、青空の下、太陽の化身のような縁壱でした。

幼い頃の、陽光に向かって懸命に木刀を降っていた、努力家でピュアな若君は、ヒトを喰らい、夜しか外に出られない醜い異形のバケモノに成り下がっていました。

その姿を見た瞬間から、「黒死牟として」も弱くなって行きます。

巌勝はどこかで、自分自身をも切り捨てていたのです。
だから、業火に焼かれながら、現世に爪を立てて抗いつつ、地獄に一人、堕ちて行くという、壮絶な最後を迎えてしまったのでしょう。

自分の居場所は、自分で探すか作るかしかありません。
自分の存在理由もまた、自分で悟るか作るかです。
それを数百年生きても見つけられず、最後まで
「縁壱、私の人生は何だったワケ?」
と問いながら消滅していく姿に、縁壱への強い依存と、実は自分で考える事を放棄していた弱さが見えます。

他の鬼は大抵、家族や誰かが待っていてくれました。
なのに、作中で一番、出迎えてくれそうな弟は現れませんでした。

真っ二つに斬られた笛は、二度と元通りにはなりません。
けれど、それでも、紐で繋ぐとか普通は修復しようとするのがヒトでしょう。

もう手遅れなのは誰よりよ厳勝が分かっていたのかもしれません。

弟が慕った兄は、鬼になった時から、存在していなかったのでしょう。