子宮に沈める~ロールキャベツの魔~
皆様、我が家では
9時消灯です。
本日はスーパー銭湯に行く予定でしたが
ブッチして
「子宮に沈める」
を観ました。
三回、観ました。
youtu.be
予告編でも、すでに胸が傷む。
2010年に起きた
「大坂二児放置死事件」
をモチーフ(と言う表現が適切かどうか。
「モデル」ってのも何だか違うし)にした映画です。
真夏と年末年始は
児童虐待による事件が増えます。
年末年始の場合は
世間が御節だお屠蘇だと浮かれてるのに
自分はこんなに困窮している……という親のストレスが子供に向かうのと
冬は寒さで児童が簡単に亡くなりやすい、そして
役所など、行政もお休みになるからです。
真夏はもう、真冬並みにきついかと思います。
事件そのものは6月の初頭で
母親は自宅に帰らず
夏を謳歌してました。
一縷の罪悪感を抱えながら。
こうした事件が起きる度に
「鬼畜の所業」
「鬼母」
などの文字が新聞雑誌だけでなく
ネットでも踊ります。
それでは、本当のところ、誰が悪いんでしょうか?
この映画は
ワンシーンごとに固定アングルでひたすら客観的に親子の生活を映して行きます。
BGMすらありません。
時々、変なノイズが入ります。
このノイズは
母親の精神の中でもなく、子供の心中でもなく、
この家族が少しずつ壊れて行く事の暗示みたいな気がします。
冒頭で若い母親がきっちり肉団子からロールキャベツを作っています。
時々、「イマドキ、誰が着けるの、こんなマフラー」を
母親が真っ赤な毛糸で編んでます。
血縁とかそうした物の象徴でしょう。
もんのスゴい手のかかったキャラ弁を並べて
リビングでピクニックごっこ。
お金もあんまりないのか
乳児と幼児を連れて外出する機動力がないのか。
途中で旦那が出てきますが
何か
ヘンに色っぽい夫婦喧嘩をします。
それでいきなりシングルマザーに。
手のかかる乳児と幼児を抱えて
経済的にも心理的にも余裕がなくなっていくサマですが
これはもう胸だけでなく
途中、自身のトラウマが開いて
激しい頭痛と何回か吐き気に襲われました。
先ほどの疑問
「誰が悪いのか」
ですが
そうやって「原因探し」しても意味はないんじゃないでしょうか。
実際の事件の母親は
両親から
正しい親としてのロールモデルを与えられていません。
母親の父は何回も離婚再婚を繰り返してるし
離婚したら
元妻は他人、子供はなかった事になります。
私の父親がそうだったからです。
孤独と母性神話が
母親を追い詰めて行くのですが
どこかで異常を知りながらも誰も手を差し伸べません。
けど、言えるのは
子供は少しも悪くないのです。
親の自由にしていい持ちものでもありません。
現に、事件の母親は
最初はかいがいしく料理を作り、お祭りには浴衣ドレスを作って
SNSでアップしています。
それと
好きでも嫌いでも
愛してるでも冷めたでも
辛いも苦しいも
言葉にして誰かに言わないと伝わらないのです。
この母親は、何とか自力で一生懸命、仕事も子育てももしようと頑張っていたのでしょう。
そして、ある日、プッツリ、心が切れたのでしょう。
誰かに抱き締めて欲しい
頑張っている自分に、ご褒美をあげたい、その結果があの事件だとしたら
私には責める事は出来ません。
映画では
今まで何でも作ってくれた母親が
何が食べたいか聞き、オムライスと言ったのに
山盛り、と言うより異常な量の炒飯を作って出ていきます。
閉鎖された生活をカメラは淡々と
説明も省いて映して行きます。
これは
「鬼母による残虐な事件」
でもなく
「行政の不備がなんたら」
でもなく
いろんな要因が重なった
日常の延長からの事件
だと痛感しました。
若く、職歴も学歴も資格もない母親に
たった一人で何が出来たのか。
そして、ロールキャベツを下ごしらえから作るような真面目な人ほど
こうした事態を引き起こします。
少々、部屋が散らかってても良いのに
ロールキャベツなんか冷凍物で良いのに
キャベツざく切りにチキンボール突っ込んで煮たスープで良いのに
何より
「いつも良いお母さん」
をやる事はないのに
何もかも完璧にやろうとするのです。
食べさせて着せて学校に行かせるのが
今の日本では本当に困難になってきています。
この映画の上映会を
いつかやりたいです。
レンタルショップでは
一枚しかなく、いつも誰かが借りてます。
老若男女問わず
ぜひ観て下さい。
トラウマになる方も多いと思いますが
そのトラウマの先には
困っている人を助けられる自分が待っている、そんな映画です。
いつも読んで下さって
ありがとうございます。
ジャガイモって
生でかじると下痢します。
水